【読書】「百年後の日本人」を読んだ

苫米地先生の百年後の日本人を読んだ。

タイトルでもわかるように苫米地先生が考える百年後の国際情勢から政治・経済、ライフスタイル等について書かれているが、正直、信じられないところも多々あり、特に国際情勢、政治経済あたりには、ピントこなかった。ただそれは、私が現在の国際情勢・政治経済についてよくわかってないからなのかもしれないが。

日本は分裂、都市国家的なものが増える

現在のところ、GDPが国力を表す数値で、それを上げるには生産力を上げる必要があり、そのため、基本的には人口が多ければ多いほど有利だった。

しかし、今後、生産はAIやロボットが行うようになるため、人口が多ければ、その人口分の費用が増大することになる。何故かというと、ほとんどの仕事(生産)をAIやロボットが行い、仕事がなくなり、購買能力が激減、企業の売り上げも激減し、生活のための収入を稼げない人が増える。

つまり、人が多いことは国としては全く有利にならず、ただのコストになると苫米地先生はいうのだ。

これは確かにあり得る話だとも思う。現在のほとんどの仕事はどんどんAIとロボットがやってくれることになるだろう。

そして、人口が多い国は、運営が厳しくなり、東京国とか大阪国とかに分裂すると苫米地先生はいう。

なんだか、私にはあまり想像できない。分裂した方が、安上がりになるのだろうか???小規模の方が意識の統一とか運用の小回りが利いて全体のコストが下がるのかな。

宇宙空間がより身近になる

当然だが百年後は今より宇宙が身近になっているだろう。苫米地先生もそのように言っっており、ワープ以外のところは、概ね理解できる内容だった。

本文の中で、移動手段としてワープエンジンが利用できるようになるとの記載がある。ここでワープとは、空間を歪めさせ、移動を短縮させる手段のことで、多く人が知っている概念だと思う。ただ、SFの中での話だと思っていたが、どうもNASAで開発中らしい。

空間を歪めるとは一体どういうことなのだろうか。イマイチイメージできない。学校で勉強したのは量子力学や物性・固体物理あたりまでで、相対論は全く触ってなかったためかもしれないが、ワープは本当にできるのだろうか。

上記のワープができずとも、人類は宇宙で生活を始めるだろうと私も思う。現在は、ただ宇宙空間を体験するだけの宇宙旅行だが、人口が爆発的に増加している地球にとっては、代わりの住処を探索・開発することは切実だろうし。

遺伝子の書き換えと電脳化で不老不死へ

遺伝子工学、生物工学が発展していくと、自由に人間と容姿や能力を変更可能になるそうだ。注射一本で目の色や髪の色を変更できたり、現在の人間ではまともに生活できない宇宙空間のような環境で普通に生活できるようになるそうだ。

まるで魔法のキャンディーで変身するふしぎなメルモである。

さらに、ほとんどの病から解放され、体の殆どが人口細胞で取り替え可能になるため、寿命は長くなる。現在の脳の寿命が200年ぐらいまでなので、200年ぐらいまでは生きることができるようになる。

その脳も、電脳化等で細胞を入れ替えたり、一部を光コンピュータや量子コンピュータへ入れ替え可能になるため、脳の寿命はなくなり、実質、不老不死が可能になる。

そして、電脳化で個々の脳がネットに繋がり、脳の情報(記憶など)が外部化・共有化され、テレパシーのように念じる(?)だけでリアルタイムでコミュニケーションが取れるようになると、全員が同じ知識を無限に共有することがでできるようになる。

これは何かを意味するかと言うと、自分の記憶と他人の記憶、そして、自分の意思と他人の意思の境界線が曖昧になっていき、個人としての概念が消え、「人権」も一人単位ではなく、「国」単位になるかもしれない。と苫米地先生は言う。

確かにこのように脳がネットに繋がり、記憶や思考が、(それが一部でも)外部化・共有されれば、個人と全体の境界線が曖昧になるだろう。結局のところ、私たちの日々の判断や行動、そして自我は記憶から来ているわけだし。

お金が法律を作る時代

今でも貧富の差は激しくなっているが、百年後はさらに激しくなり人間と人間ではないモノレベルに差がでてしまうだろう。これは、寿命が伸びることで、富める者はさらに富豊かになり、貧しいものはさらにそこから脱しにくくなるからだと苫米地先生は言う。

さらに、法律もお金で作る時代にくると言う。現時点でも、現時点でもお金で法律が作られている。種子法廃止法等が良い例だろう。それが今後加速していくそうだ。

とは言っても、AIやロボットが生活に必要な生産活動をやってくれるので、貧しい人でも生活に困ることはなく、文化的な生活を問題なく送ることができそうだ。

様々な遊びも仮想空間で現実と同じようにできるようになるし、貧困と言っても、現在のその状態ではなく、もっと違ったものになるのだろう。

おわりに

飢餓や死の恐怖もない生活で我々はどこへ向かうのだろうか。少なくとも将来、我々は現在の人を超絶した存在になっているのだろう。

子供の頃に夢見た将来像は、車が空を飛んだり鉄腕アトムが空を飛んでいたり宇宙旅行ができたりなど、単純で物理空間での将来像だった気がする。

しかし、この先の数百年後は物理空間での出来事はそれほど重要ではなくなり、一人一人が作り上げる仮想空間での出来事が重要になるように感じる。

仮想空間と物理空間での区別がなくなり、それらが同じリアリティーを持った時、人は神として仮想世界というもう1つの世界を作ることになるのかもしれない。