【読書】「なにものにもこだわらない」(森博嗣)を読んだ。

森博嗣先生の「なにものにもこだわらない」を読んだ。

このタイトルに惹かれて読んだ。恐らくは出来るだけ執着を減らしたい。内にある重いものを取り除きたい。力を抜いて、リラックスをして生活をしたいとの思いからのチョイスだろう。

こだわることで不自由になる

現在、「こだわり」とは良い意味で使われることが多い。「こだわり」の逸品とか、「こだわり」の店とか、こだわりの趣味とか。

ただ、本書にもあるように、「こだわる」ことは、良いことではなく、むしろ悪い面が多いように感じる。これは私も前々から感じていたことだが、例えばジムに通い、筋肥大を目指して筋トレのトレーニングメニューを拘って作ったりしていると、仕事等で、思い通りにジムへ行けなかったり、器具が使用中でトレーニングができなくてイライラしてしまう時があった。

また筋トレにこだわりすぎて他の運動をやってみようという発想が出てこず、筋トレのみに執着してしまい、自分が好きで望んでやってことなのに、逆にそれが自分を不自由にしてると感じることがあった。

そして、本書を読んでて気づいたのだが、大抵のこだわりは執着であり、それによって、不自由になり、内なるエゴのようなものが増大してるなと感じた。

自由でありたいと思う者はこだわりを捨て、なにものにもこだわらない状態をキープするのが良いだろう。ただ、「こだわらない」ことにこだわってしまわないように、曖昧さを残し、「あまり」こだわらない程度が良い。何故なら、「こだわらない」事自体が執着になってしまうから。

こだわらないことで他人に優しくなれる

他人の行動にイライラしたり、嫌悪を感じるのは、自分の中にルールやこだわり等があり、それに牴触するからで、エゴから来ている。つまり、今あるこだわりを捨て、減らせば、自由で健やかな心となり、結果的に、他人に優しくなれる。
同じものを見てイライラするより、ニコニコする方が良いに違いない。

また、自分にこだわることをやめ、自分が優先していることを後回し、つまり、他人優先、利他的になることで、見える世界が変わる。または、凝り固まった思考が解きほぐされ、新しい発想が出てくる。

このような視点の変換を行うことは、視野を広げることに繋がるし、結果的に他者に優しい発想が生まれることが多い。個人的は、ただ単に視点を変更するだけでも優しい発想が出てくることが多いと感じている。

なんとなくこだわらない。ぼんやりと目指す。

ただ、上記にも書いたが、なにものにもこだわらない事をルールにしてしまったら、それ自体がこだわりになってしまうため、なんとなくこだわらない。こだわることも偶にはあるといったゆるい感じのこだわりなさが良いだろう。物事をより抽象的にとらえ、行動するといいった感じか。

おわりに

自分の中にこだわりを感じたら、これはどこから来たものなのだろうか?何故私はそのような事にこだわっているのか自問自答してみるのが良いだろう。ほとんどのこだわりは誰かから与えられたり、埋め込まれたもので、内から湧いてきたものではない。そんなものはとっとと手放してしまうのが良いだろう。もちろん、ある程度のこだわりは必要で、ないと人間性や社会性がなくなってしまうので、そこは注意すべきところ。